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大学職員について考える

投稿日:2026年 05月 02日

エンプロイアビリティの続きになります。

私の体験的職員論です。

視野を広げて

 当時、学生募集と就職支援の責任者を務めていたので、活動もその両分野に関するものが中心であった。すでに募集環境は厳しくなっていたので、同じエリア内にある学校は市場を奪い合うという競合関係となっていた。このため、表面的には友好な関係を続けてはいたが、内心ではライバルということで、気の許せない関係となってしまっていた。このような状況ではあったが、エンプロイアビリティということを意識してからは、自分の大学だけの視点というよりも、少し広い視野を意識することができるようになったため、県内の学校が協調することで、いい結果を生めることはないかということを考えていた。

一般的に連携が生じやすいといわれているのは、共通の敵がいるといった状況である。そのような場合、相手を打ち負かすことでよい結果を得られるという、共通の利害関係が生じるからである。では、共通の敵とは何であろうかと考えた時、多くの高校生が東京を中心に県外に進学しているという事情に思いが至った。この状況を少しでも変化させ、地元進学率を高めることができれば、県内のすべての学校にとって好ましい結果ということになる。すなわち、県内の大学等にとっての共通の敵とは、東京を中心とした県外の大学等であるということになったのである。

県内のすべての学校が望んでいる、地元進学率を高めるということのためにできることは何なのか、ということを考え続けていた。そして思いついたのが、県内の大学、短期大学、専門学校がタッグを組んで、地元にあるそれぞれの学校の魅力や、県内に進学することで得られるメリットを伝える取り組みを行うということであった。このアイディアを、親しくしていた短大の職員、専門学校の職員に伝えたところ、すぐに賛成してくれ、この三校が幹事校となって企画を進めていったのである。

 名称は「進路応援フェスタ in ぐんま」とし、内容は県内の二つの会場での進学ガイダンスと、県内進学のメリットを伝える講演会を行うというものである。共通の利害関係があったため、国公立も含めて、県内のほとんどの大学、短期大学、専門学校が参加してくれ、趣旨に賛同してくれた高校からは、動員に関しての協力も得ることができた。地元進学率を高めるということに対して、どの程度、寄与できたのかは分からないが、敵対することよりも、連携することの大切さを感じさせてくれた体験であった。

 

連携するメリット

 私のいた大学が属していた大学団体では、毎年、教務や学生指導、就職といった、業務ごとの研修会が行われていたが、広報に関する研修会は開催されていなかった。広報に関する情報交換の機会があるといいと思っていたので、大学団体に問い合わせてみたところ、広報は学生募集という、お互いがライバルであるといった領域に関わるものなので、みんなで一緒に考える研修といったものに馴染まないため開催していないとの回答であった。

 その時はそんなものかと一応は納得したが、ライバルではあっても、協調できるところはあるのではないかという思いは続いていた。その頃、私のいた大学が、定員割れからV字回復した大学として、大学業界で少し注目され出していたため、大学団体が発行している新聞からも取材を受けることになった。取材の日、どのようにして入学定員を回復したのかを、まとめたメモを渡したところ大変喜ばれ、それがきっかけで、その記者の方と懇意にしてもらうようになった。そして、その方を通じて再度、大学団体に対して広報の研修会を開催することを進言した結果、ついに実現へと至ったのである。

 言い出した関係上、初回の研修会から企画にも参加し、現在もアドバイザーとして関わっている。もちろん、入学者を獲得するという点でいえばライバルではあるが、高等学校の進路指導の状況を理解し、適切な連携を図っていくという点でいえば、共通に行っていくことが求められる領域であるし、受験生に対して適切な情報提供を行っていくという点に関しても、同様の事情があるといえる。

 教育機関である大学であるから、相手を蹴落としていくといった競争のやり方ではなく、お互いに切磋琢磨して顧客満足度を向上させていくというやり方のほうが、顧客や社会に対して価値を与えていける競争の在り方ではないかと考えている。

 

独立も視野に

 視野が少し広がり、大学全体の利益といったことを意識するようになってくると、特定の大学で働くということよりも、少しでも多くの大学の役に立ちたいという思いも芽生えるようになってきた。

もともと、自分のいた大学が、定員割れからの回復を成し遂げた時、振り返ってみると自分でもよく働いたと思えるほどであり、もちろん大変ではあったが、一方で、厳しい状況から回復するために、いろいろなこと考え、試行してみるという活動に関しては、充実感や面白いという思いも感じていた。そして将来、このようなことを仕事にできたらいいな、という思いを持つようになっていたのである。

そのためには、独立することが最も適切な働き方であると思われるが、独立して働くということになると、ますます自分自身の力を高めることが必要になってくる。それも、いろいろな状況に対応できる、汎用的な力を付けることが求められることになる。また、これまで組織から離れて働くという経験はなかったので、果たして独立して食べていけるのかという不安もあって、すぐに独立するという決断には至れなかったのである。

 それでも、将来、独立するための準備はしておこうと考えたのである。そのためには、まずは自分の体験や考え方を整理し、ある程度、体系的なものに構築しなおし、活用できるものにしていかなければならない。自分の大学では、たまたまうまく改善を進めることができたのであるが、それを他の大学等でも活用できるような理論にしていかなければならないのである。そのため、幸いにして大学の改革例として注目され始めたという状況があったので、そのことをテーマに、私学経営等に関する業界誌に寄稿するという活動を始めたのである。文章にすることによって自分の考えも整理でき、また不十分なところも認識できるので、この「書く」という経験は、自分の学校経営に関する考えを体系化するのに大変役立つものであった。

 寄稿したいくつかの雑誌は、全国の学校関係者に読まれているものなので、読んだ人から自分の学校で話してもらえないかという、講演の依頼もいただけるようになった。他の大学等で講演をするということになると、論理的におかしなところはないかということに留意して資料を作成することになるので、私の理論の体系化も少しずつ進んでいった。

 また特定の大学でなく、多くの方を対象とした初めての講演は、受験雑誌を発行している会社主催の研修会であった。大阪の一流ホテルを会場に、関西の多くの大学関係者が集う中、現場から考えた大学経営といったテーマで講演を行うことができた。一流ホテルでの講演ということなので、少しは晴れがましくということで、赤紫のネクタイを購入し、それを着用して行った。その後も、これといった機会には、そのネクタイを着用していた。私にとっては、独立へ向けての一歩を踏み出すことのできた、勝負ネクタイとなったのである。